映画『パッション』

3月に北海道で行われたカレッジで、イニシエの時に、シフが私の過去の記憶を読んでいた。

その時のことは、蓮ちゃんから、
「ゴルゴダって知ってる? ムミヤそこに居たらしいで」
くらいしか聞いてなかった。(蓮ちゃんの日記『パッション』)
龍さんからは、
「『パッション』っていう映画見るといいよ」
と言われていた。

で、ようやく、DVDをレンタルして見た。

印象的なシーンは、次のところかな。
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イエスが、十字架を背負ってゴルゴダの丘を目指すとき、なげきの道で、イエスが十字架の重みに耐え切れず、母マリアの目の前で倒れてしまう。

その時、マリアは、幼少の頃のイエスが、目の前で転んでしまった時のことを思い出す。マリアは、幼少の時のイエスに駆け寄り言う。
「私は、ここにいる!」

そして、この時も、イエスに駆け寄り、言うのだ。
「私は、ここにいる!」
そんな母マリアを見て、
「母よ、世界が新しくなるのです」
そう言ったイエスは、十字架を背負って再び歩き出す。
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この映画は、ユダがイエスを売った辺りから、十字架に張り付けになるまでの12時間を描いた作品なのだけど、たった12時間という時間のなかで、これだけの出来事が起こったのかというくらい激しい内容の作品だった。



ラストのシーンは、この映画のクライマックスでもあり、学びどころでもある。
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マリアは、十字架に張り付けになったイエスから言われる。
「婦人よ、これがあなたの息子(マリアの隣にいるイエスの弟を指す)だ」
「息子よ、これがあなたの母(マリア)だ」
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この時のイエスは、マリアのことを『母よ』ではなく『婦人よ』と言っている。この時、イエスは、マリアの息子としてではなく、神の子として天に召されているのだ、と言っているのかもしれないし、私は、母(マリア)から生まれたけれども、父(スピリット)の息子(体、具現)である、と言っているのかもしれない。

マリアは、イエスを息子として育てながらも、神の子として仕える生き方をしてきたのだろう。そこには、純粋な愛もあったし、盲目の愛もあったかもしれない。

私にとって、この映画のエッセンスは、『盲目』と『明け渡す』の違いを学ぶことかな。やっぱり。3月のミイラ展を皮切りに、4月の頭に『ファースト・サンダー』を読み、それらから、『盲目』と『明け渡す』の違いを学び続けている。

マリアのような生き方は、今までは通用したのかもしれないけれども、これからは、違う。誰かを盲目に愛し、仕えるのではなく、自らを愛し、自らのスピリットに『明け渡す』ことを学ばなくては。



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by muumiyah | 2007-05-08 23:36