手ぶくろと親指

ずい分前に、男性性と女性性について自転車とドアの具現化があった。先週末には、右の手ぶくろをバスの中に忘れて、同じ日の夜には右手の親指をドアに挟んだ。右手は男性性の具現化だ。

私は、自転車とドアの具現化は、男性性と女性性について考えることだとは気が付いても、どういったことを表すかが分からなかった。そして、右の手ぶくろと親指の件で、私が男性性をないがしろにしていることに気が付いた。

右の手ぶくろは、バスを降りてすぐに無くしたことに気が付いて、まだバス停に止まっているバスに戻って探すと、乗っていた女性が落とした手ぶくろを拾ってくださっていたのだ。しかもその女性は、左側の列に座っていた!

彼女は、にっこり笑って手ぶくろを渡してくださったのだが、まるで、男性性を忘れちゃだめですよ、と女性性から諭された気分^^; 極めつけが右手の親指を右手で閉めたドアに挟むというアホなことをしてしまったのだ。

親指を挟むということは、親の存在を無視しているから、親指に意識がいかずドアに挟むということに至ったのだ。

自転車の具現化は、男性性と女性性のアンバランスを、ドアの具現化は、男性性と女性性が解放されることではないかと気が付いた。

気が付くと具現化は、とてもシンプル。瑠璃さんのエンジェルカードで引いた私の男性性と女性性は、『複雑性』と『単純(シンプル)』だった。具現化のリーディングがすっきりいかなかったのは、男性性が複雑にものを考えてしまうことと女性性が物事をシンプルにとらえないことだった。

私が目が悪くてメガネをかけているのも、結局はものがよく見えない上にフィルター(レンズ)を通して現実をみているという具現化か……。思えば、目が悪いのは生まれつきではない。中学1年の終わりくらいだった。その頃のことを振り返ってみよう。



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by muumiyah | 2006-12-21 07:19